NRK活動報告書

更新は年に数回

別れそして出会い

診断ついてからまもなく5年。ついに主治医が転勤してしまった。
まあ勤務医だし先生もともと関西の人みたいだからいつかはこういうことになるだろうなーと思ってたが。
若干天然入ってたけどちゃんと話聞いてくれるし入院中も土日祝関係なくほぼ毎日様子見に来てくれていい先生だったなー。お世話になりました。
そして今年度から2人目の主治医。前の先生とだいぶ毛色は違うけど悪い先生ではなさそうなので一安心。よろしくお願いします。

波乱の幕開け

で、主治医が変わった途端にガタガタと崩れる体調。
新しい主治医になって最初の診察が終わって家帰ったその日の夜に突然の発熱。
血液データは悪くなかったはずだからインフルか何かかもしれんと思って職場の救急外来受診して検査してもらったけどインフルをはじめとしてマイコプラズマとか溶連菌とか感染症系はすべて陰性。なんだかよくわからないけどインフルの可能性もあるからまた明日来てねってことで一旦帰宅。
翌朝40℃超えててこれはさすがに大変だと再度職場の内科受診してインフル検査してもらったけどやっぱり陰性でなんだこれ。
そしたら5年前に診断つけてくれた先生がやってきて「これはSLEの急性増悪だと思うからすぐにかかってる病院に行ったほうがいいよ。受付時間過ぎてるけどすぐ紹介状書くから」と言ってくれて主治医に会いに病院へ…行こうとしたら新しい主治医はパートで週一しか来てないことが判明。オイー聞いてねえぞ。
というわけで初めて会う先生にとりあえず診察してもらって薬増やしてもらい、(プレドニゾロン8mg/day→18mg/day)「来週また主治医の先生に診てもらってね」とのことでとりあえず帰宅。
薬飲んだらすぐ熱は下がって一週間後また主治医の診察。このときはもう体調も良くなってて「全然大丈夫っす」とか言ってて、主治医の先生も「何らかのウイルス感染で風邪かなにか引いて悪化しちゃったんじゃないかな」とのことで。「まあもう大丈夫そうだしまた薬減らしちゃうか」「そうですね」って感じで減量。(18mg→10mg)
そして翌日にまた発熱。


大丈夫じゃねえ。


診察の翌日に立て続けに熱出すとかあの先生は逆フラグ神か何かか。
一日寝ても下がらず夜中にはまた40℃まで上昇して結局その翌日に救急外来受診。パートなのでいない主治医。初めて会う当直の先生(専門外)に診てもらってまた増量(10mg→18mg)。
後日またしても主治医の診察。一か月間にこんなに頻繁に病院来たのなんて去年の指に潰瘍できちゃった事件以来…あっ結構最近だったわ
一連の経過を見るに「やっぱりもう少し薬このままで様子見た方がよさそうだね」という話になってしばらく18mg/dayでいくことに。
先生には「もうちょっとゆっくり減らせばよかったねー。大変失礼しました」と謝られたけど私も全くの予想外だったわ。ここ最近はそこまで体調悪くなかったんだけどなぁ。
去年も今頃の季節に熱出してたし、前に入院したのも春先だったし、実は冬より春の方が体調崩しやすいのかもしれん。
診断ついて5年も経つけど未だに予想がつかないことが多いなぁ。

各種役員

自治寮で運営は全て寮生自身によって行われていたので、1回生から4回生までそれぞれに役があった(任期は半年)。
まず1回生は「部局」というものに属することになっていた。
寮全体で12の班に分かれてて、各班から1名ずつ「厚生」「文化」「副代議員」を選出し、執行委員の指示のもとに仕事をすることになっていた。
厚生は主に大掃除やゴミ捨て、文化は段ボールや資源ゴミの整理・追いコンなど夕食会の準備など、副代議員は班全員分の寮費の回収…とあとなんだったっけ(忘れた)


2回生は「執行委員」と「代議員」。
執行委員は各班1名ずつ選出された12名から成る委員会で、それぞれ委員を決め、寮の中心的な役割を果たしていた。
まず寮長・副寮長
執行委員の任期は半年で、原則一期で交代となるが、執行委員を留任する人が寮長・副寮長を務める決まりになっていた。(つまり執行委員を一年間やる。大変。)
他の委員は、
総務…私がやった係。寮内の備品・消耗品の管理、書類の作成、三寮会議への参加(後にメーリス化)、代議員会へのオブサーバー参加、各種雑用、寮長・副寮長代理(実際やったことない)など。ぶっちゃけ楽。2名。
会計…毎月の寮費の徴収および寮内の色んなお金の管理。寮費徴収日の二日間は回収場所の和室にずっと詰めてるしお金扱うから計算合わないと大変っぽい。2名。
厚生…大掃除の指揮を執ったりゴミ捨てしたり、寮内の美化に努める。活動内容はシンプルだがなかなか大変。3名。
文化…夕食会の企画・運営、公室(各階の和室・談話室)の管理、資源回収など。追いコンがある冬季の方が忙しい。2名。
炊事…寮食(お弁当が届く)希望者のチェックと注文。寮食取る人はごく少数だったのでおそらく一番楽。1名。
このほか各委員の仕事とは別に、週1回の会議で寮の様々な問題について話し合ったり「梅の箱」という目安箱的なものに投函された要望や意見について対応を考えたり。これとは別に何か問題があったときは臨時で集まったり。
他は各委員ごとに任期の始めには方針案終わりには総括案を代議員会に提出。班会の参加など。
あと普通の見回りとは別の見回り当番があり、夜10時に寮内放送で諸々の連絡事項をアナウンスし、正門の施錠、廊下の消灯。12時に各フロアの見回りがされていることを確認し、横門の施錠。翌朝7時半に正門の開錠。これを寮長・副寮長以外の10人で回していたので最低でも月に3日は寮にいなければならず、さらに会議やら何やらあるので任期中は月の半分くらい外泊できなかった。してないけど。

代議員も各班1名ずつの選出で、年に2回ある寮生大会(生徒総会的なもの)の前後に各班ごとに「班会」というものを開催し、方針案・総括案に対する意見・質問を集めて、その後代議員会で報告。そしてまとめられた意見を執行の各委員に提出というのが仕事だった。
この班会というのが厄介で、結構忘れたり出なかったりする人が多かった(特に上回生)。班員の半分以上が参加していないと不成立になるので、どうしても人が足りなかったときはたまたまそこら辺を歩いてた他の班の一回生を捕まえてきて頭数だけ揃えるという力技に出たりしてた。


3・4回生は「議長」「保安委員」「選考委員」「ネットワーク加盟者会議代表」「監査」。
議長(と副議長)は代議員会の長で、寮生大会の議事の進行。通常の寮生大会に加えて、寮生に対して有期退寮や無期退寮など重大な罰則を下す場合には臨時寮生大会が開かれ、罰則内容について審議した。これが荒れに荒れて大変
保安委員はその名の通り寮内の保安を司る委員。規則違反者への罰則や見回り当番表の作成、避難訓練の実施などがあり、各階1名+寮長・副寮長の6名で構成されていた。やることは少ないけど有事の際にクッソめんどくさい。
選考委員は2名で、部屋割りを決める係。原則2人部屋で、退寮者が出た場合、上回生で尚且つ重要な役(寮長とか)を経験したものから順番に1人部屋になるルールだったので、退寮者が出ると同室の下回生を移動させる必要があり、ガンガン退寮者が出るので常に部屋割りのことを考えなければならなかった。ストレス溜まるらしい。
ネットワーク加盟者会議代表は私がやった役。(他にもう一人会計係がいた)寮内のインターネット環境の保全が仕事でやることはそんな多くないんだけどこれが寮祭実行委員より執行委員より嫌だった。ぶっちゃけ機械のこととか全然わかんねーのに管理しなきゃいけない上にしょっちゅうブッ壊れるから夜中に懐中電灯片手に作業したりくっっそめんどくさかった。でもおかげでLANケーブルの修理の仕方を覚えた。実生活で役に立ったことはないけど。
監査は「執行監査」と「会計監査」の二人いて、執行委員および会計が適正に運営されているかの監査。それぞれ執行監査は執行委員経験者。会計監査は執行委員の中でも会計委員経験者が務めることになっていた。
 
執行委員・議長・副議長・保安委員は一応選挙があって、信任投票という形式で、不信任が一定数いた場合はなれないことになっていた。まあこれで落選した人見たことないけど。


面倒な仕事が多かったけど、寮という小さなコミュニティ内でも司法(保安)・立法(議長)・行政(執行)の三権分立が守られていたし、寮の運営にかかわる重要なことはちゃんと全寮生で話し合って決めてたし、システム的にはよくできていたと思う。


ちなみにこれらとは別に「新寮対策委員」というものがあった。これは人数決まってなくて3〜4人くらいで他の役に就いてない人って感じ。
一応名目上は「新寮建設に向けて学校側と交渉し、寮生側の要望などを伝えるための委員」ということになってたけど、在学中新寮の話が持ち上がったことは一度としてなく、それに近い話も執行委員の方に来てたので、どちらかというと「上回生なのに何の役にも就かずにフラフラさせてるのもアレだから名前だけでも何かの役を与えとこうぜ委員」というのが実際だった。執行委員とか任せられないようないい加減な奴用の委員というか。


しかし在学中は新寮なんてツチノコネッシーと同じ類のものだと思ってた。本当にできるんだなぁ…

ついに

白梅寮と泉学寮の閉鎖が決まったらしい。
ネットで探しても記事が見つからないから詳細がよくわからないのだが、6年後をめどに閉鎖して角間キャンパスに集約して留学生も入れる800人規模の寮を新設するそうで。
まあ確かにキャンパスは山の上に移転したのに寮だけ街中に取り残されて遠かったし老朽化も激しかったからいつかはこうなるだろうと思ってたけど、思ったより早かったな。
しかし角間キャンパス内かよ…せめて山の麓とかにしてほしいなぁ。ただでさえ集団生活でストレス溜まるのに山奥に隔離とか精神病む奴出ると思う。
あと学校終わってバイトしに街まで下りてバイト終わって夜中にまた山登るのかと。バスないだろと。街灯もロクにない山道を一人で帰るのは危険じゃないかな。前にそれで女子大生殺された事件あったよね、山中にある寮に帰る途中で行方不明になってバラバラになって発見されたってやつ。
その辺のことはちゃんと配慮してくれるのかな、バスの本数増やすとか。


新寮建設は寮生の悲願だったから喜ばしいことではあるが、あの寮がもうすぐなくなるかと思うと一抹の寂しさを感じるな。
やっぱり個室になるのかな。さすがに暖房が夜10時で止まるとか風呂が一日おきしか動かないとかはないだろうな。
あと留学生も入居となると自治寮っていう形は難しいだろうから執行委員会だの寮生大会だのはなくなるんだろうな。
毎週夜10時11時に集まって会議したり行事やら何やらのためにバイト休んだり友達との遊び断ったり寮の仕事で時間取られて徹夜で実習レポート書いたり蛍光灯替えてて感電したり忙しかった執行委員も、北溟寮とガチンコバトルしたり寮祭準備で時間なくて友達の実習レポート丸写ししたり徹夜で段ボール敷き詰めたり徹夜でカレー煮込み続けたり泣きながらTシャツ売ったりした寮祭実行委員も、新寮に入る子たちはやらなくてよくなるんだなぁ。
別に自分がした苦労をわざわざ後輩達に体験させたいとは思わんし、寮の本来の目的である「経済的に余裕のない学生が安心して生活できる」ということが保障されるのならどんな形態であっても構わんけど。
寮で学ぶことは多かったし、いろんな役員をやった経験は大きいけど、どう考えても「ただ伝統だからやってる」だけで何の意味もないよねってこともあったし。少なくとも晩秋の夜にずぶ濡れで泥まみれのスポンジ投げつけ合う必要はどこにもないよね?さすがに今はもうやってないだろうけど…


それでもあの寮で過ごした4年間の経験は本当に貴重だし、寮仲間とは全国に散った今でもよく遊んだりしてるから、新寮でも寮生間の交流の場はなるべく多く作ってほしいなと思う。

お通夜だよ!全員集合!

通夜も葬式も平日だから、同居してるわけでもないし忙しいのに忌引き休暇使うのもアレだし仕事終わってから通夜だけ顔出せばいいかなーとか思ってたんだが。
通夜の日に職場で話したら「準備とかあるでしょ?今日の午後から休んでいいよー。明日も休んで大丈夫だよー」と言ってくれたのでありがたく休み取らせてもらうことに。家に帰ってギリギリまでお相撲見てたことは内緒にしておこう。
つってももうみんなそれぞれ仕事とかあるんだし従兄弟達なんてそんなに来る奴いないだろうと思ったんだが、行ってみたら全員集合してた。あぶねえ…来といて良かった…
全員(既に故人の兄者は除く)が揃ったのはじーちゃんの葬式以来約10年ぶりで、久しぶりに酒など飲みながらいろいろしゃべれて楽しかった。葬式で楽しいってのも変な話だけども。
特に男が多いせいか10年前はみんな難しい年頃でろくに口もきいてくれなかったから、こうしてざっくばらんに会話ができるのは嬉しいものだな。
でもいくらなんでもいきなり「お前さあ、男できた?」はざっくばらんすぎるだろうと思った。
できねえよ。

喪中率50%

先月母方のばーちゃんが亡くなりました。享年91歳の大往生。
もともと心筋梗塞の既往があって、まあさすがに年相応に心臓が弱ってきたらしく今年の春あたりからガタガタっと衰えて半年ぐらい入院して徐々に食事も取れなくなってたからみんなある程度予想はしてたけど。
亡くなる二日前にお見舞いに行ったときに私が「じゃあばーちゃん、また来るからね」とか言って死亡フラグをおっ立ててしまったばっかりに…


急変時DNARってことで眠るように静かに息を引き取ったようで。家には帰れなかったけどみんな入れ代わり立ち代わりでしょっちゅう見舞いに行ってたし、いい最期だったんじゃないかね。
途中で転院になっちゃったけど最初の一か月くらいはうちの職場に入院してたからちょいちょい会いに行けてたし、たぶん孫達では私が一番会ってたと思うし、ばーちゃんも見舞いに来た親戚にしょっちゅう私の話をしてたらしいドヤァ


しかしなにもこのド年末になって死ななくても…喪中はがき出すのすっげー忙しかったぞ…
ていうか二年に一度は身内が死ぬから喪中はがき率たっけえのなんの。もうテンプレート保存しとこうかしら。

狂気のNAGANO

先週は寮の友人たち3人が一泊二日で長野に遊びに来てくれました。ほぼ毎年来てるメンバー。
事前にどこに行きたいか訊いたら


・パワースポットに行きたい
・美術館とかギャラリーに行きたい
・蕎麦食べたい
・おすすめのカフェとかあったら行きたい
・わさび農場でわさびソフトが食べたい
上諏訪呑み歩きに行きたい


いいかお前ら…長野と安曇野上諏訪はな…離れてるんだ…


まあ遠方からはるばる来たからにはできる限り希望を叶えてあげようと夏頃からずっとプランを練っていざ信州案内。
当初の予定では
穂高神社(パワースポット)→わさび農場→安曇野のオサレなカフェとか絵本美術館とか下諏訪のオルゴール館とか時計博物館とか→蕎麦屋で昼食→呑み歩き→温泉入って帰宅
という計画だったのだが。


穂高神社に行く途中に目に飛び込んできたコイツ


外観からすでに不穏な空気


一応スプーンアートを展示したギャラリー&カフェってことらしいんだけど、







明らかに何かがおかしい



恐る恐る席に着いてメニューを注文して待ってる間にテーブルにある雑多なものたちを不用意に触ったらびっくり箱だったり上から何やら降ってきたりしてもう突っ込みが追いつかない。あとトイレがヤバい。
笑いすぎて過呼吸起こしかけたからね。
運ばれてきたメニューに至ってはもうヤバすぎて画像載せられないレベル。
ちょっともうアレを文章で表すのは不可能だから是非みんな一度行ってみるといいよ!穂高駅のすぐ目の前だよ!
でも一人で行くとかなりキツいから誰かと一緒に行くといいよ!
でも連れてく相手を間違えるとその後の人間関係が心配になるから相手を見極めて行った方がいいよ!
あとR18って書いてあるメニューは本当にR18だから子供に見せちゃダメだよ!





ここのカフェがあんまりにもインパクトありすぎ&時間取りすぎたせいでそのあと行ったわさび農場の記憶が薄ぼんやりしてるし予定してたオサレカフェや美術館が全く行けなかったけどまあカフェもギャラリーも同時に行けたからいいやということでサクッと上諏訪へ。


この呑み歩きイベント、1人の強いリクエストによりコースに入れたところ、別の1人に「軍曹ちゃん運転してたら飲めんけどいいん?」と心配されたんだが。
私は上諏訪には酒ではなく別の目的があるのでむしろウェルカムだよ!


そう、上諏訪と言えば!


河合曽良の出身地!


しかも呑み歩き会場である舞姫酒造のあたりが生家跡で麗人酒造のあたりが幼少期を過ごした祖母の家ということでドンピシャの聖地!たぎる!!(その後少し離れた叔母の家に養子に出され12歳まで上諏訪で過ごす)
正直人多すぎて何が何だかわからなかったけどしっかり麗人酒造でお酒買ってきたよ!舞姫酒造は人多すぎて入れなかったよ!


夕方まで呑み歩きして帰るタイミングで
私「ちょっと一か所寄りたいところがあるんだけどいい?」
皆「いいよ。どこ行くの?」






正願寺。(曽良の墓があるお寺)



大学時代に来て以来だから6年ぶりに墓参りに来れた。県内つってもちょっと遠いからなかなか来れなかったからなぁ。
前回はお母さんや妹と一緒だったからちょっと来て見るだけだったけど、今回はちゃんと線香とお供え持参で来たからな!このためだけに!


もちろん始まりはギャグマンガ日和から入ったけど、そのあと随行日記読んだり人物について調べたりしてマジリスペクトしてるから久しぶりに来られてとても嬉しい。この人がいたからこの年になって文系に興味持てたからな。ある意味人生の師だしな。
久しぶりに墓参りできてよかった。いい機会を作ってくれた友人たちに感謝。
そしてそんな様子を目の当たりにしても全く引かずにむしろ一緒に手を合わせてくれる寮メンバーは本当に懐が広いなと感動しました。いい友達持ってよかった。



墓参りしてたらとっぷり日が暮れてしまったので夜道の高速(初体験)を怯えながら帰宅。一日で250kmくらい走ったな。
あちこち走り回ってだいぶ疲れたが久々に楽しい週末であった。
またきてNAGANO!