NRK活動報告書

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いつかはこうなると思ってた

16年度末に北溟寮閉鎖
北國新聞社 | ふるさと不足に読んで効く


ついにこの日が来たか…
老朽化による建て替えとかではなくてまあ希望者の減少だろうな。今の時代にはそぐわないし。
記事にも書いてあるけど、北溟と泉学では真逆と言ってもいいくらい雰囲気違うから、泉学に入れてあげるよ!って言われてもハイそうですかって移る人はそんなにいないんじゃないかな。
軽音サークルで活動してた一部の子を除けば白梅(女子寮)とは敵対関係になることが多かったし、寮祭とかでバトったこともたくさんあったけど、いざ無くなるとなると全てが懐かしい。
あのおなじみの北溟式自己紹介も真似したりしたもんだ。白梅では階ごとの新歓夕食会で4回生があの挨拶をするのが伝統だった(2階限定)。今もやってるのかな。
白梅もそうだけど、退寮した人が悪いところばかりをそこらじゅうで触れ回るから悪いイメージばかりが独り歩きしていった感は否めない。まあ概ね間違っちゃいないんだけど。
それでも4年かもしくはそれ以上住んでる人がいたってことは楽しいところもあったってことなんですよ。そこは誤解しないでいただきたい。


ところで上記の記事www「バンカラな雰囲気の中、生きるしぶとさを学んだ」ってやめろwww

いつか無くなる寮の話

卒寮して早5年。
2つある男子寮と違って女子寮は1つだけだし、昨今の学生を取り巻く経済状況を考えてもすぐさま白梅寮も廃止されるとは思えないけど。
それでもいずれなくなるかもしれないし、自治寮という形から変わるかもしれないし。
そうでなくても少しずつ変わっていくこともあるだろうし。(現に寮風呂システムも変わってるし)
私がいたころの「金沢大学白梅寮」の様々な思い出を、完全に忘れてしまう前に振り返っていこうと思う。

入寮

誰よりも寮大好きで寮に馴染んでたけど、実は私は途中入寮組だった。
もともと兄者が他大学の寮住まいで、やっぱり同じような2人部屋で半分自治寮みたいなもんで、面倒ながらも楽しそうにしてたから、寮暮らしには憧れていた。
そんなわけで、大学も寮があるから金大に決めた。
んで晴れて合格してサテ入寮申し込みしようと思ったらもう締切が過ぎていたという痛恨のミスにより泣く泣くアパートに入居。夢の寮生活は泡と消えたと思われた。


ところが入学して2週間後に偶然知り合った寮生に寮の話を訊いたら、「え?部屋空いてるよ?」と。
その翌日に早速学務課に行って入寮希望を出し、わずか1か月でアパートを引き払い(不動産屋に平謝り)、GW明けに入寮。
しかしもう新歓シーズンは終わっていて(のちに4月の1か月間に怒涛の新歓行事が行われ脱落者が出ていたことを知るが、それはまた別のお話)同回生と集まる機会はほとんどないしもうなんとなく仲いいメンバーが決まってるし、変な時期に途中入寮してきたせいで何か深い事情があるんじゃないかと気を遣われてあまり話しかけてくる人もいなくて最初はちょっと後悔したものだ。


同室の先輩(富山出身)は一人部屋になったと油断したところに後輩が入ってきたもんで大慌てで片づけてくれたらしいんだが、とにかく持ち物が多い人で、8畳のうち私の居住スペースは布団の上と机しかなかった。
でも引っ越してきたその日にます寿司くれた。あと要らない服とかバッグととかもくれた。卒寮するときに譲ってくれたファンヒーターはその後3年間私の足元を温めてくれた。いい先輩だった。


勝手もわからず友人もおらず100人余が暮らす寮でぼっち生活をスタートさせたわけだが、まもなく一人の同回生と知り合い、不思議なことに仲良くなって、そこからようやく馴染むことができ、今に至る。
あの時話しかけてくれた彼女には感謝している。

門限

寮の規則に「門限」というものがあった。正門は22時、横門(裏口的なもの)は24時に閉まる。
ただしこの門限は「この時間に帰ってきなさい」というものではなく、どちらかというと「この時間過ぎたら帰ってくるな」という意味合いが強かったように思う。
22時になると当番が正面玄関に鍵をかけるので、それ以降は横門から出入り。24時になるとその横門も鍵をかける。
門限を過ぎても寮の出入りは可能だが、その場合は寮内にいる人に依頼して鍵の開け閉めをしてもらわなくてはならない。自分で鍵を開けて出ていくのは禁止。中から開けてもらって入ったらすぐに閉める。出ていく場合は自分が出たらすぐに中に残った人にしてもらう。
つまり「鍵を開けた状態で門から離れてはいけない」という決まりで、これを破ると罰則となる。


この決まりを入寮2日目に破った寮生はおそらく私だけだと思う。
途中入寮で細かい指導を受けていなかった分、渡された寮生規約を穴が開くほど熟読して規則については頭に叩き込んでいたので、門限については重々承知していた。ただし横門がどこを指すかをわかっていなかった。


「横門」と呼ばれているけど門ではなくて勝手口みたいなところだったんだけど、それを知らずに敷地の端にある門のことだと勘違いしていた私は、夜半過ぎに帰ってきた先輩から「悪いんやけど横門開けてくれん?」と電話で頼まれ、先輩を待たせてはいけないと保安委員の先輩の目の前で鍵を外して駆け出してしまい現行犯逮捕。
帰ってきた先輩と2人で平謝りし、入寮したばかりでよくわかっていなかったということで不問にしてもらった。
大変申し訳ございませんでした。 >あの時の保安委員さま

罰則

寮の様々な規則を破ると罰則があった。
まず上記の門限破り。女子寮ということもあって、セキュリティ関係の規則は厳しかった。
一番多いのは見回り忘れ。各階ごとに見回り当番というのがあって、毎日23〜24時の間に自分のフロアの施錠やガスの元栓、洗面所や公室(談話室のこと)の消灯などをチェックして回り、終わったら1階ロビーの見回り表にサインし、見回りファイルを次の人に回す。月に1回程度の仕事だけど、忘れて罰則食らってる人がちょくちょくいた。
他は行事の無断欠席。年に2回、寮生大会という寮の運営方針を話し合う会議(生徒総会みたいなもの)があって、原則絶対参加だった。理由があって欠席する場合は委任状を事前に提出するんだけど、委任状なしに無断欠席した場合はその場で決議されて罰則が下された。
避難訓練も原則絶対参加で、これに無断欠席すると焼死者として名前が貼りだされた上に罰則という散々な目に遭わされた。
他は窃盗とか男性を入れたとか、寮の秩序を著しく乱した場合に適用された(めったになかったけど)。


罰則の内容は、基本的に累積の規則違反の回数で決められた。(但し窃盗など悪質なものは即退寮処分などもあり)
1回目→見回り3回
2回目→反省文(廊下に貼りだされる)+見回り3回
3回目→顔写真つき反省文+見回り3回
4回目・5回目→顔写真つき反省文+有期退寮処分+見回り3回
6回目→無期退寮処分(要するに退寮)


寮費滞納も罰則の対象で、これは滞納の期間で決められた。
2か月→保護者に連絡
3か月・4か月→保護者に連絡+有期退寮処分
5か月→無期退寮処分
…とかだった気がするけど、これで罰則受けた人は見たことないから詳細はうろ覚え。


有期退寮処分以上になると寮生全員で決議しなきゃいけないからその度に臨時で寮生大会開かなきゃいけないから大変だった。
でも今振り返ってもそんな厳しい規則でもないのになんであんなに罰則食らう人多かったんだろう…
細かい規則とか面倒な行事とか多かったけど、就職してから振り返ると、大事なことは規約に則って寮生全員で決めてたし、なんとなく決まってる不文律とかもあまりなかったし、きわめて民主的なところだったなと思う。