NRK活動報告書

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最終日:3月3日

この日は最終日ということで午前中はbricの家でのんびり。昼食をとってから医王寺(正確には醫王寺)へと向かう。
一昨日(1日)と同じ電車に乗って今度は医王寺前駅で下車。少し歩く。



芭蕉さんもここを通ったのかな。
当時はどんな風景だったんだろう。


医王寺に到着。瑞巌寺とか立石寺に比べると小ぢんまりとしたお寺(失礼)。
源義経の臣下の佐藤基治とその一族の菩提寺ですって。



寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀・弁慶が笈をとヾめて什物とす。
笈も太刀も五月にかざれ帋幟(奥の細道


弁慶の笈は宝物殿に展示されてました。でっかい。あんなデカいもの背負って歩いてたのか昔の人は。
義経の太刀は、ガイドブック岩波文庫奥の細道」w)によると、第二次大戦後の刀剣調査の折に提出したまま、とのこと。


せめて笈は五月にかざれ帋幟(笑)



奥の薬師堂。ここに基治公・乙和御前夫妻と、義経のために戦って戦死した佐藤継信・忠信兄弟の墓碑がありました。お墓だから写真は撮らなかったけど。



基治公・乙和御前夫妻の墓碑の傍にある「乙和の椿」。
2人の息子を失った乙和御前の悲しみが乗り移ったと言われており、花はついても蕾のまま咲かずに落ちてしまうそうです。



咲かずに…落ちるそうです…




中にも二人の嫁がしるし、先哀也。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと袂をぬらしぬ。(奥の細道


継信・忠信兄弟の妻である若桜と楓は、息子達を亡くした姑を慰めるため、それぞれ兄弟の武装をして慰励したというエピソードが残ってるそうで。
その時の武将の格好をした2人の人形が本堂に祀られてる…らしいんだけど本堂のどこにあるのかよく分からなかったので諦める。


ここでデジカメの電池が切れる。おーい…この前交換したばっかりじゃないか。


ひととおり見て回って医王寺を後にする。
宝物殿に大河ドラマ義経)の時のタッキーのポスターがベタベタ貼ってあったのに吹いた。宝物扱いwww


お寺の前に「芭蕉坂」なる坂道が。ここを通って飯坂に抜けたんだなきっと。
ちなみに医王寺から飯坂まではゆるゆる歩いても30分ちょいといったところ。(1日に来た時は飯坂から歩いた)
歩き慣れてる昔の人ならもっと早かったんじゃないかな。


その芭蕉坂を下ってちょっと遠回りして駅へ戻り、一旦bricの家へ。
お茶など呑んで一休みしてから荷物をまとめて福島を発つ。ありがとうbric家の人々。


福島駅でbricと最後に少し話してしばし別れを惜しんでから仙台へ。
駅中のスープストックで軽く夕食を摂ってから夜行バスに乗って金沢へと帰る。



今回はいっぱい回ったなぁ。実りのある旅だった。
次は山中温泉あたりにでも行きたいな。